タダイマ イシノマキ

震災復興支援 一般社団法人KITT(きっと)  末永 博さん インタビュー
「東日本大震災の記憶とコレカラ」
新たな街づくり 面白い石巻へ・・・。
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※写真(左)理事・事務局長 末永 博さん、(右)代表 掘込 亘さん、(下)お手伝い 西村 浩希さん

東日本大震災発生から2年5ヶ月の歳月が過ぎた今、被災地の現状と問題とは・・・。

 2013年3月11日に東日本を襲った東日本大震災の記憶はまだ新しいだろう。

だが現状メディアからの情報も徐々に減ってきていることもあり、被災地から離れて住んでいる人は、日々の忙しさからそれの記憶も薄れてきているのではないだろうか。

寧ろ心のどこかで、自分には関係ないし、知っても意味がないと、ネガティブな側面を含む震災の情報を敢えて避けて、自己防衛をしているのかもしれない。

だが逆に私は皆さんに知ることによる自己防衛を強くお勧めする。

 私は津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を5月と8月に延べ10日滞在し、ボランティアに参加しつつ、現地の数人の方々に話を伺った。

石巻市周辺では瓦礫撤去も終盤に差し掛かり、一見して元々そこには何もなかったかのように街は綺麗に見える。

ただ一見しただけでは分からない大切なモノ達を被災者達は失った・・・。家族、友人、知人、仕事、家、風景、大切にしていたモノの多くを一度に失ったのだ。

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震災がもし自分に起きたこととして、想像出来るだろうか。それを完全に想像することは被災していない私達には出来ないかもしれないが、想像すると胸が熱くなる。

被災地では心の復興も含め、本当の意味での復興はこれからで、まだまだ時間がかかるのは必至だろう。

 私が話を伺った方々は、起きた現実を受け入れ、震災で全てを失ったからこそ、日々の小さな幸せを大切に、一日一日を前向きに生きているように感じられた。

彼らは口々に「より多くの人に被災地で起きたことを知ってもらい、皆には同じ思いはして欲しくない。」と語ってくれた。

以下に、震災以来、復興支援活動に参加し、今年4月より社団法人KITT(きっと)を立ち上げ、現在 KITTの理事・事務局長を務める 末永 博さん(43)のインタビューを紹介しよう。

社団法人KITT(きっと)理事・事務局長 末永 博さん(43)

石巻市内在住の末永さんは津波により沢山の友人・知人、家、仕事を失った。震災後、石巻に見切りをつけ、関東方面での仕事を探すべくハローワークへ訪れた。そこで山形のNGO団体IVY(国際ボランティアセンター山形)が当時行っていたキャッシュ・フォ-・ワークという震災復興支援活動で石巻市内で仕事を見つけ、復興支援活動に参加する。

去年の3月でキャッシュ・フォー・ワークの活動は終わり、その後1年間、今年の3月までIVYの職員として、震災復興支援のプロジェクトを行った。

更なる復興支援をすべく、今年4月に社団法人KITT(きっと)を立ち上げ、団体にて理事・事務局長として活躍中である。

※キャッシュ・フォー・ワーク(cash for work)とは、災害地等において被災者を復興事業に雇用し、賃金を支払うことで、被災地の円滑な経済復興と、被災者の自立支援につなげる、国際協力の手法。

 末永さんの被災時の体験

 地震が起きたときは車に乗っていました。運良く道路のすぐ脇の高台に神社があり、そこへ避難して津波に飲み込まれずに助かりました。

雪が降っていたので、初日は雪を食べて喉の渇きを癒しました。その後、避難した場所が神社だったので、お清め用の水があることに気付き、それを飲んで過しました。食料は神社の社務所にあったチョコレートなどのお菓子を分けて頂きました。初日はすぐ夜になったので何も情報も入らず、今世の中で何が起きているのか分からなくて不安でしたね。DSC_0314-002

震災から3日程経って、ようやく水も膝の高さくらいまで下がったので、神社を後にして家族が非難していると思われる場所へ、街中を歩いて向かいました。その頃には自衛隊が瓦礫を道の脇に寄せてくれていたので、通ることが出来ました。その時は家族に会うために必死で歩いていたので、あまり周りに気に留めませんでしたが、瓦礫の中には人間の体の部位が見え隠れしていました。今思うとゾッとしますね。

 無法地帯と化した街中では沢山の人がお店から物を持ち出していましたね。私もそれに便乗しようとしましたが、お店は空っぽで飴玉一個くらいしか手に入りませんでした。笑

聞いた話では、瓦礫の死体から指輪等の金目の物を剥ぎ取ってお金を手に入れた人もいたみたいですね。

道徳的には良くない話なのかもしれないけど、どちらにしろ物は捨てられてしまうし、それも生きていく術だから、それを真っ向から否定できないんですよね。

明日の食べる術もない状態だったので、皆本当に生きるのに必死だったんです。

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写真は末永さんが幼少時代を過した石巻の隣町 女川町 町立病院より

女川は津波による壊滅的なダメージを受けた。写真、左の更地には街があった。

復興以来ずっと支援活動をしている末永さんだが、彼も震災被害者であり、生まれた街を眺める彼からは内に秘めた複雑な思いが感じられた。

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女川町の建物

 被災地の現状・問題

 被災地の問題は山積みですが、今は住人達の精神的な支援が必要だと思います。

家を失った方々は、現状仮設住宅に住んでいて、極力近くの集落ごとに住宅への入居をしているのですが、立地などの好みもありバラバラに入居されてる場合もありますので、震災以前のような近所付き合いは出来ていなくて、色々な問題が出てきていて心配です。

その中でも孤独死が増えてきているのが、大きな問題です。

仮設住宅では地域の繋がりが弱いために、高齢者が倒れても、発見が遅れて亡くなっています。

震災で受けたショックを乗り越えられずに自殺する方や経済的な理由から自殺される方もいます。

被災者の生活は先の見通し付かず、今もなお続く余震の恐怖、漠然とした不安が住人の間であるようです。仮設住宅にいつまで住めるかも分かりませんし、住宅を出た後の手当て有無分かりませんし、仕事もあまりないのが現状です。

中には震災時、津波に流された沢山の人を助けた勇敢な方も、あと少しで手が届かなく、助けられそうで助けられなかった人のことを忘れられず、それを苦に自殺した方もいます。

孤独死の他の問題では、家族や仕事、家を失い自暴自棄になり、お酒に入り浸りでアルコール依存症の方もいたりしますし、毎日パチンコに明け暮れる方もいます。

行き過ぎたアルコール依存はその後、自殺へ繋がる可能性を秘めていますので危惧しています。

パチンコへ依存するように毎日行かれる方は、それで気が紛らわせているならば、それはそれでいいのかもしれません。復興には人それぞれのペースがあります。心に負った傷も人それぞれ大小がありますからね。

団体としては地域やその他団体と協力して、家の訪問や催しなどを企画して、引き篭もっている方々に外出する機会を作っていきたいです。

 仮設住宅に住んでいる子ども達も可愛そうです。学校には観光バスでの通学を強いられています。私個人的には登下校時に友達と遊ぶのが楽しかったですし、そこから学べることも沢山あると思うんです。

大きな公園や球場には仮設住宅が建っていて、広い遊び場もあまりありません。

仮設住宅には違う学区の子ども達が住んでいるので、子どもによっては付き合い方に困ってる子もいるかもしれません。逆にいい効果もありそうですが。

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まだ取り壊されてない建物もところどころにある。

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小学校。壁の損傷から津波の威力が伺える。

社団法人KITTの活動

 団体の活動のメインは駅前にある空き店舗を利用し、観光案内所、アンテナショップ、無料休憩所「タダイマ イシノマキ」を運営しています。

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観光案内は地元の人だからこそ知ってる隠れスポットを紹介しています。

アンテナショップでは地元のアーティストや仮設住宅のお母さん方が作った手工芸品や地元の海苔やサイダーなどのお土産を販売しています。

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店内は寛いで頂けるように、お客さん用にソファとテーブルを置いて、心地いい雰囲気作りを心がけてます。その為、お客さんとお話をしたりして、お客さんの滞在時間は比較的長いですね。

実はここで販売している商品は東京や仙台などにあるアンテナショップにもおいてあるんです。でも実際に地元に来ていただいて、地元民である私達から商品の説明や石巻の話を聞けるのがここのメリットですね。

野菜無農薬栽培

 その他の活動に石巻郊外の津波の被害を受けなかった場所で野菜の無肥料無農薬栽培を始めました。除草は最小限に留め、少しだけ畝を作るだけでほとんど耕さず、極力自然農法に近い形態で行っています。

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写真はサトイモ、まわりの草といい関係が築けているみたいです。因みに、ジャガイモを別の畝に植えていますが、草の勢いにやられています。

今年はナス、キュウリ、ピーマン、唐辛子、トマト、ジャガイモ、サトイモ、枝豆、カボチャを少量ずつ植えてみました。

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本来は子ども達と農業を楽しむ予定だったのですが、諸事情で出来なくなりましたので、現在は畑で取れた野菜から支援に繋げる作戦を考えています。

子どもの支援

KITTでは子どもの支援活動にも力を入れています。最近は子ども達と「竹の水鉄砲作りとビニールプールでの水遊び」を企画しました。

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震災以来、水がトラウマになってしまい水を恐れている子ども達もいます。プールも津波で壊されてしまっています。

私たちは楽しいことを通じて、本能的にそういったトラウマの解消の手助けが出来ればと願ってます。

活動の展望

 私達が目指すのは石巻を面白い新しい石巻に復興することです。震災前から廃れていた街なので震災前の状況に戻す必要はないと思うんです。街づくりに関しては従来、ヨソモノの意見を聞かず、取り入れず、衰退の一途を辿っていた「震災前」に戻すのではなく、「新たな」街づくりを目指しています。もっと観光という部分で面白い石巻を作っていきたいです。そもそも観光資源が少ない街なので、他の観光地をモデルにしての街づくりや、人の繋がりを大切にした街を作っていきたいです。

都会から来ていたボランティアやその友人が田舎に帰省するような感覚で石巻を訪れえてくれたら嬉しいですね。

「あのおっちゃんに会いに石巻に行こう。」と言った具合に。

極小団体ですが似た様なコンセプトを持った団体と協働すれば、少しでも寄与できるのではないかと思い活動しております。

例えば、近々風力発電を推進しているNPOの会合に参加する予定です。

こういった外部の新しい活動を取り入れて、新しい面白い石巻を目指します。

津波で何もなくなったからこそ、一から街を作り直せる、今が大きなチャンスなのかもれません。

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写真のUFOのような建物は石巻市内にある石ノ森章石太郎の石ノ森漫画舘(石巻駅から約1キロ)

風変わりな建築構造からか津波による被害は大きくなかった。

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駅前には石ノ森章太郎の漫画のキャラクターの像が立ち並ぶ。

末永さんよりメッセージ

 いつもご支援ありがとうございます。皆さんのおかげで街は徐々に復興してきています。そこでボランティアや支援をしてくださる方にひとつだけお願いがあります。支援は自分の無理のない範囲していただければ、それだけで十分で、とてもありがたいのです。

買い物をするにしても、自分を苦しめない範囲でお願いします。

支援して下さる皆さんに是非石巻を楽しんで頂きたいのです。

機会があれば是非一度、石巻へ遊びに来てください。そして皆さんの素敵なアイディアお聞かせください、一緒に笑顔溢れる面白い街づくりをしましょう。

お会いできる日を楽しみにしております。

終わりに

 今日、社会は一極集中型の社会から市民を中心とした地域分散型の社会へ移行しつつある。被災地では被災したからこそ、そこに出来た「絆」がある。そんな絆で繋がった地域、企業、NPOやNGOが協力し会い、作り上げていく新しい石巻に大きな可能性が感じられる。町興しには津波で流された土地の利用も出来るので、これは逆に大きなチャンスなのかもしれない。

私が思うにこれからの田舎の街づくりのキーポイントの一つが「エコ」である。小型風力発電などの自然エネルギーによる地域分散型エネルギーの利用や有機野菜の栽培などを売りにした街づくり。都会の喧騒に嫌気がさした人々を呼び込めるのかもしれない。

 田舎興しの大きな可能性を秘めた石巻の今後の動き、KITTの活躍から目が離せない。

近い将来、新しい面白い石巻を訪れる日が待ち遠しい。

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