ぶらり福島途中下車
「終わりが見えない除染、明るみに出た海洋汚染、もうどうにも止まりません」
5月12日から4日間かけて、東京から宮城県石巻まで福島経由でバイクで北上して福島の現実を垣間見てきた。
茨城県日立市の駅前 発電のタービンらしい。 原発にも使われているのかも。
この地域では日立の発電部品の工場がたくさんあるようだ。
いわき市郊外で田植え
福島の支援はしたいが、今は福島で育ったお米を買おうとは思えない。
農家の方々も、売れないかもしれないと分かっているだろうが、どうしようもないのが現状だろう。
この辺りは津波の被害はないので、土壌はそんなに汚染されていないのかもしれない。
だが、販売する際はしっかりとした測定が必要だろう。
放射能の風評被害は今後数年もしくわ数十年続くのは必至だろう。
食べ物だけが問題ではない、結婚や就職に福島出身の人への差別が出てくるの可能性だってなくはない。広島がそうであったように。
福島第一原発のある大熊町の近く楢葉町、広野町、富岡町、川内村で何回も除染作業を見かけた。
山のように積み上げられた、除染廃棄物の袋。
除染したのはいいが、今後それらをどのように処理するのだろうか?
福島県以外の自治体で放射能汚染した瓦礫が焼却処理されているが、周辺地域では通常より高い放射線量が観測されている。
袋に集められた汚染物質はあの状態で保管されると思われるが、あの袋の耐久性は如何なものなのか?
放射線は通さないのか?
たぶんアルファ線は大丈夫だろう。ベータ線もたぶんOK。けど、ガンマ線とエックス線はどうなんだ・・・。
除染作業はどのように行われてるか知っているだろうか?
表面の草や枯葉、土を地道に取り除いている。
ぱっと見は田舎の除草作業とあまり変わらない。
山はどうすんだろうか?
セシウムは水溶性らしいが、既に溶けて地下水に溶け出していたりするのだろう・・。
知れば知るほど、大変だということしかわからない。
楢葉町のジェイビレッジの近くの公園。福島第一原発まで約20キロ。毎時0.596μシーべルト。
牛などの飛び出しに注意!
この伝言掲示板は震災前からこうだったのか?
ここはインドでもオーストラリアでもない北海道でもない、福島。
震災後放置された牧場から逃げ出して、野生化した牛がいるとは噂に聞いた。
実際に見てはいないが・・。
富岡町もしくわ大熊町。たぶん原発から10~15キロ。この辺りに今は人は住んでいない。毎時1.868μシーベルト。
福島市と福島第一原発の間。たぶん原発から3,40キロ。
毎時0.702μシーベルト。
福島市内はあまり賑わってはいなかった。聞く話によると、災害直後は沢山のボランティアがいて賑わっていたらしいが、今はそれも落ち着いて、逆に震災以前より客足は減っているらしい。
ジェイビレッジのある楢葉町などでは、復興作業員を相手に飲食店は再開されたりしている。
復興作業員はお金を貯めるために来ていて、飲食店やコンビニ以外ではあまり買い物しない。そのため、経済効果はあまり期待できないだろう。
飲食店以外のスーパーなどのお店が再開してなく不便で、避難場所の郡山市などのほうが色々便利なため、住民の帰還は進んでいない。
もちろん、今も放射線量の数値が高いから帰還しないのだろうが。
このままだと、農村地の更なる過疎化が進み、現地の様々な伝統文化が失われていくのは必至だろう。
福島市内の商店街のラーメン屋の店主は言っていた。
『もう、俺達(福島の人)は見捨てられたんだねえの。
福島の人はあんまり自己主張しないから、政府やら東電がしたい放題出来るんだっぺ。震災起きてもからも、それは何にも変わってね。コレカラどうなんだかなぁ・・・。』
話の面白い店主だったが、会話の中に将来への漠然とした不安や諦めが上のようなコメントから感じられた。
先行きが見えないと、本当に精神的に参ってしまう。
人間と言うものは安定を求める傾向があると思う。長く住んできた場所、してきた仕事を離れようとは中々思えない。
若い人なら元気もあるが、少し年齢を重ねると、今更・・・となるのかもしれない。
それに地元の人々にとっては今までの人生の全てがそこにつまっている。
先祖から譲り受けた大切な場所なのである。
たぶん年配の人は被爆症の覚悟が出来ているのかもしれない。
もし自分が被災地出身で高齢であるならば、福島に残るかもしれない。
それは仕方ないのかもしれない。
しかし問題なのは子ども達だ。
彼らにはコレカラの将来があるし、放射能の影響を大人の数倍受けやすい。
実際、子どもの間で甲状腺ガンが徐々に見つかっている・・・。
せめて子ども達だけでも、疎開出来たらいいのだが。
まあそれぞれ家庭で色んな事情があるんだろうけど。
子どもを思うなら・・・。
さあどうしたらいいことやら。
福島市内のインドカレー屋のインド人の兄ちゃんはこう語る。
私『福島で働くのどう思う?』
インド人男性『何も。』
私『じゃあ、放射能のことは?』
イ『放射能のこうとは考えないようにしてる。』
私『家族は?』
イ『皆インドにいるよ。』
私『家族は心配してないのか?』
イ『人生、何かを犠牲にしないといけない時があるんだ!』
私『経営は上手く言ってるか?』
イ『まだ始めたばっかりだけど、売り上げは中々だよ。東京とかの都心部は、インド料理屋が沢山あって競争が激しいけど、福島にはインド料理屋あんまりないからね。』
商売人のインド人らしい発想だ。
彼も放射能の影響は分かってはいる。
けど、分かってない。
お金を稼ぐのにはそのくらいの覚悟が必要らしい。
資本主義経済とは何かの犠牲を払って生きて行くべき経済のようだ。
命を削ってまでお金を稼ぐ・・・
はたしてお金にはそれほどの価値があるのだろうか?
毎時1.306μシーベルト
第一原発から5,60キロは離れていて、阿武隈高地を越えてきた福島市内でこの数値。
この公園が除染されてないのか、なんなのか・・・。
福島第一原発と福島市の中間地点よりも福島市内の放射線量が高いのは不思議だ。
現地の人に聞くと、放射線の測定器を設置する際は、付近を入念に除染して(土を大量に取り除く)、コンクリートを流して、その上に測定器を設置したりするらしい。
ということで、この測定器あんまり当てにならなかったりするらしい。
それにしても、この数値は高い。
震災後の政府の放射線量基準は年間20mシーベルト。
(前の基準は一般が1mシーベルト。職業20mシーベルトだったらしい。)
計算してみると、毎時1.306μシーベルトは年間11.44mシーベルト。
今回の見た測定器で一番高かったのが毎時1.868μシーベルト=年間16.39mシーベルト。(この測定器の足元はコンクリートで固められていたけど。)
本当にこれからどうなっていくのか、全く分からない。
今回の滞在でひとつだけ分かったこと。
放射能は怖い。
見えないし、体にどう作用していくか分からない。
福島は森が沢山あって空気が綺麗ないようでバイクで走るのは気持ちよかったが、どうやら私は知らぬ間に沢山の放射能を浴びていたようだ。
これから福島は政府は私たちはこの問題にどのように対応していくのだろうか。
全く解決の糸口が見当たらない。
未だに収束していない原子炉。
原子炉から海に漏れ出していることが分かった放射性汚染水。
(態と漏らし続けてるようにも考えられなくない・・・・。)
そしてタンクにも溜まり続ける汚染水。
満タンになるから、いずれこの汚染水も海へ・・・と(原発規制委員長までも・・・こらっ)
まだまだ終わりそうもない陸地の除染処理。
これを人為的に終わらすのは無理なのでは・・・?
既に地下に染み込んだものは地下水から海へ・・・?
除染作業に莫大な資金を投資するより、反応器の収束や原発を解体、自然エネルギー推進など出来ないのだろうか?
むしろ政府は原発の輸出に力入れちゃってるし・・・おいっ
家族や友達を失い、さらには生まれ育った場所に帰ることさえ許されない人の気持ち。
実際に自分が体験してみないと解りえない。
このような災害が二度と起きないようにするために、この災害のことを忘れてはいけない。
そして、現在も福島の人は見えない苦しみと戦い続けている。そしてこれからも。
私達にはそのことを知る権利とともに知る義務があるであろう。