宮城県石巻市滞在中、愛知ボランティアセンターの牡鹿半島の十八成浜(くぐなりはま)現地ボランティアに参加させて頂いた。
このボランティア活動は週末に愛知から十八成浜へバスで訪れ0泊3日で行われている。
震災以来、前回の活動で99回を数え、次回の8月30日~9月1日の活動でなんと100回目の活動が達成される。
以下に愛知ボランティアセンターと活動内容を簡単に紹介しよう。
愛知ボランティアセンターは震災直後の3月17日に発足した。
中学・高校の国語教師である団体代表の久田光政さんは阪神淡路大震災時にお母さんやお父さんを亡くした中高生へ奨学金を贈る「奨学金を贈る会」を生徒たちと運営していました。
東日本大震災発生後、そんあ久田さんは「何かしなければいてもたってもいれない、愛知で私たちに何か出来ることかないか?」と多くの人に相談され、被災地へ応援物資の募集することから団体を発足した。
その後、宮城県石巻市を中心に応援物資の調達や住宅の泥出し作業などのボランティア活動を行い、現在まで続く十八成浜の復興応援活動へ行き着いた。(詳しくは愛ボラ活動報告)
愛知ボランティアセンターは十八成地区での活動当初、若年層が多いボランティアのため経験不足であまり十八成浜の住人に歓迎される支援が出来なかった。
それに反省し、避難所リーダーの阿部邦子さんなどの現地住民としっかりと話し合い、被災者のニーズがしっかり反映されるよう活動が改善され、活動を重ねるごとに愛知ボランティアセンターと十八成地区住民との間には強い信頼関係が築かれていった。
そして、2011年6月下旬より十八成地区の瓦礫を撤去すべく0泊3日の弾丸ボランティアが開始された。(私が参加させて頂いた。)
当初参加は100人、200人態勢で10月末には瓦礫撤去作業も一段落し、それ以後も住人の様々なニーズに合わせて活動を続けてきた。
現在は大型バス1台約50人のボランティアが十八成浜に訪れ、主に3つの作業に分担し活動している。
・よろずや~チーム恭一(外回りの活動全般何でも)
この班は十八成住人の阿部恭一さんがリーダーとなり、草刈や側溝の掃除、道路の整備など何でもする。(恭一さんは阿部邦子さんのだんなさん)
活動に参加する十八成住人で皆の人気者の阿部恭一さん
笑顔が素敵で面白い方。
・くぐなり食堂班
住民の方々とボランティア用に約200食のお弁当を作る。
・心配り班
十八成浜の全戸(約80戸)を訪問し、ボランティアセンターが刊行する「愛知ボラセンニュース」と食堂で作ったお弁当を届ける。
右の男性は青木さん、小学校の教員で何度もこのボランティアに参加している。
お宅でのお食事に招待して頂いた。
ボランティアの青木さんと仲の良い、家主の女性は少し前に旦那さんを亡くされ、気を落としていた。
一緒に食事をしてる際に、女性は私たちの訪問の嬉しさからか涙をこぼすシーンもあった。
被災地では住人同士間では被災について話すことが避けられている。
なぜなら、ある人は家だけを失い家族は無事だったとか、ある人は家族も家も全て失ったとか、ある人は家族も家も無事だったとか、被災者夫々の事情があり、被災者間ではあまり話しにくい場合が多い。
家族の話をするにしても、家の話をするにしても、下手なことを話すと他の住人の心を傷つけしまうからである。
そのことから、住人間では言い表しにくい微妙な空気がある。
地区の住人とどのように接していいのか分からないのである。
特に今回訪問した女性は震災では家も家族も無事だった。
だが彼女は少し前に旦那さんを亡くしたために、現在は一人暮らしだ。
震災以来、家族のような関係を築いてきたボランティアとは、気兼ねなく話せ、彼女のような一人身の被災者の心を癒してくれるであろう。
実際問題、東北の各地の被災地で、孤独死が発生している。
震災以来、どこの被災地でも住人間の微妙な人間関係や地域のコミュニティーが壊れ、仮設住宅での孤立がおきている。
孤立した仮設住宅などの生活では、病気などで倒れた際に発見が遅れ、孤独死に繋がる場合がある。
震災のトラウマや普段の生活の問題などが住人間で話せないこともあり、自分の殻にこもってしまい、孤独からの逃避のために自殺する方もいる。
本当に難しい問題だ。
愛知ボランティアセンターが行っている訪問活動はそれらを未然に防いでいるだろう。
一人身の方は訪問されることにより、「私は一人じゃないんだ、忘れられてないんだ。」と、生きる喜びを味わえるのかもしれない。
人間は寂しがりな生き物で一人で生きていける人は稀だろう。
この問題が解決するにはもう少し時間がかかるであろう。
愛知ボランティアセンターの活躍に期待したい。
阿部邦子さんのお話
童話作家であり避難所リーダーも経験した阿部邦子さんによる被災のお話がされる。
「石巻かほく」に2011年10月9日から約1年間、毎週日曜に「阿部邦子のがれきに咲いた花~十八成浜避難所日記」の題で連載された原稿を一部修正・加筆してまとめたものである。
「実際に避難生活を送っている人でないと見えてこないものがあるのではないか」という視点から、避難生活をしている石巻市十八浜在住の作家阿部邦子さんに執筆していただいた。被災者の心の問題に重点を置いた、メッセージ性の強い内容になっている。(参照 石巻かほく)
私は実際に邦子さんに会って話し演説を聴いた。
彼女は頑張りやさんのボス的な存在だった。
そしてなにより彼女は繊細で優しい心を持った人物という印象を受けた。
・阿部邦子さん的ポジティブの定義
邦子さんはよく人から、「あなたはポジティブですね。」と言われる。だが実際の彼女の性格は世間一般で言われるポジティブなタイプではなく、心配性なところもある。
そして彼女はなぜ自分がポジティブと言われるのか考え、閃いた。
彼女のポジティブの定義とは
「良い考えが閃くまで問題解決の思考を止めないこと」
どんな状況でも解決策があって、それが解るまで思考を止めないのだ。
被災し家と思い出の品々を失い、災害で治療が遅れ、最愛の義理の御母さんを亡くした彼女だが、良い考えが閃くまで問題解決の思考を止めず、その閃きを行動に移してきたからこそ、これまで気を確かに保ってこられたのだろう。
それが由縁、人は彼女のことをポジティブだと思うのではないか。
避難所での集団生活はプライバシーもなく、先の見通しが立たず、想像絶するものだっただろう。それでも周りのケアをし、ケアされ頑張った彼女。
考え抜いたからこそ頑張れた、やっぱりポジティブな人だ。
・津波への警告
「地震が起きたとき、自分の家に津波が来る可能性があると思う人手を上げて。」
その言葉に会場から約半数の人が手を上げた。
「今手を上げなかった人は死にます。」
私は手を上げなかったのでドキッとした。
石巻市内での津波は、川をさかのぼり、海岸から数キロはなれた海が見えない地区まで押し寄せていて、沢山の犠牲者が出た。
彼女が伝えたいのは、その油断が一番危ないってことだと思う。
日本は地震大国でいつでもどこでも地震に見舞われる可能性がある。
私のように危機感がない人が一番最初に犠牲になるのかもしれない。
彼女の詳しい話をもっと知りたい方は是非「がれきに咲いた花 石巻・十八成浜避難所日記 著 阿部邦子」を呼んで頂きたい。(記事は愛知愛知ボランティアセンターのHPにも掲載されている。)
邦子さんは講演の最後はいつもこの言葉で締めくくる。
「私はあなた方に助かって欲いの!だから精一杯話したの!一つでも心に残してくれて、万が一の時はあなた方にも、大切な方々にも助かって欲しいって、私の思い、受け止めてくれた?」
すると会場から「はぁい!」と大きな返事が返される。
私は愛知ボランティアセンターは被災地の支援を通し、子ども達や大人達へ教育の場を提供しているように感じる。
ここで経験したことが、震災が起きたにボランティア達に役に立つことは言うまでもない。
「自分でも何かしらの支援が出来ることがわかり、自信がつきましたね。」と数回ボランティアに参加している女子高校生は話す。
このボランティアはしっかりとオーガナイズされている印象を受けた。
被災地、到着前に仕事分担されていて、現地に着いたときに「私は何をしたたらいいの?」とはならない。
しっかりオーガナイズしつつも、ボランティアを押さえつけるようなことはしない。
団体も現地住民も口を揃えてこう言う。
「絶対に無理はしないでください。今日一日楽しんでくださいね。」
現地住民もボランティアも楽しんできたからこそ、この活動はこれほど長く続けられているのであろう。
だから初めての方でも無理なく参加出来る。
参加費用は往復のバス代と昼食代で12000円。
ボランティアと住民の持続的な関係が築けるよう、愛知ボラセンでは思いやりのある言葉を推奨している。
例えば、十八成浜を訪れるボランティアに住民たちは「おかえり」と出迎え、ボランティアは「ただいま」と答える。
この挨拶が関係を持続させたのかボランティアにはリピーターが多い。
いつも出迎えに来ている恭一さんはリピーターや初めてのボランティア達を「おかえり」とハグで出迎える。
恭一さんを初めとする住人の人の良さがリピーターが増える由縁なのは間違いない。
リピーターボランティアと住人の間には遠くに住んでいる家族の様な本当に素敵な関係が築かれている。
もちろんボランティアが現地を発つときは
「いってらっしゃい」「行って来ます」
と挨拶が交わされる。
十八成浜を後にして、ボランティアは鮎川暖簾街で食事をしたりして、愛知へ行く。
帰るのではなく行ってくるのだ。
被災地へ越してきた後藤夫妻
愛知ボランティアセンターを語る上で欠かせないのが、写真の後藤さん夫妻。
一級建築士である後藤文吾さんは愛知で建設会社を経営していた。
妻の夫紀子さんは会社の経営を手伝いつつ、愛知ボラセンの応援物資などのボランティアに参加して、被災地に訪れていた。
その際、文吾さんは宮城県の建物の被害状況を調査する仕事で建築士が足りないことを知り、その仕事をすべく建築士の文吾さんと夫紀子さんは石巻を訪れた。
そして、応援活動に参加していった。
被災地のあまりの悲惨な状況に強く受け止め、震災のため物資調達が難しくなっていた建設会社を畳んで、8月に石巻に引っ越してきた。
二人は毎回愛知ボラセンの十八成浜訪問のボランティアに参加し、現地での世話役に徹している。
石巻市内ではボランティア簡易宿泊施設「Bungo」を経営している。
そのほかにも植林や花を植えるNPO「スマイルシード」の活動を手伝っていて、ボランティア活動に忙しいお二方だ。
文吾さんは「私の立場上、被災者の問題だけでなく、様々なボランティア団体の運営の問題を目の当たりにします。
いつも中立の立場でバランスとって行きたいです。
そろそろ、本業である、建築で被災地を支援したいんですよね。
2×4(ツーバイフォー)の建材を使えば、素人でも丈夫で家が建てれます。従来工法は熟練の技術が必要なんですが、2×4の住宅は採寸をしっかりやれば誰でも建てれると思います。
2×4は端財を再利用できるし、構造計算がし易いので従来よりうんと安く仕上げられる。
あまり仕事のない石巻で若者の仕事を作ることで、過疎化も防げるし、2×4は津波にも強い住宅なんです。安く出来るのでお金に余裕がない被災者にはもってこいだと思うんですよ。」と語る。
夫紀子さんは「色々大変なこともあるけど、石巻の生活は何だかんだ毎日楽しいわ。支援活動のあいまに家庭菜園をしたりして楽しんでるの。
十八成浜の訪問ボランティアは私たちにとって友達に会いに行くような感覚でしてるの。だから楽しい。支援活動は自分に無理のないように続けていくわ。」と語る。
後藤夫妻は十八成浜の住民達と本当に仲がよく、被災者の良き理解者になっている。
一般の人には退職後に被災地に引っ越してボランティア活動をするなんて、とても真似できないだろう。
それを当たり前のようにこなしている二人を私は尊敬する。
今後も二人の活躍は愛知ボラセンの十八成浜訪問ボランティアに欠かせないだろう。
愛知ボラセンは支援ではなく応援をしている
普通ボランティア活動といえば、ボランティアが一方的に支援する関係がイメージされるが、愛知ボラセンの十八成浜訪問のボランティアは少し違う。
まず、愛知ボラセンは活動を支援とは呼ばずに、応援と呼んでいる。
活動に参加して、私はそれを肌で感じた。
住民自信が団体と連携してボランティア達にボランティアの勉強の場が提供がされているような・・・。
住民は住民だけでは解決できない問題をボランティアにしてもらい、逆に住民はボランティアに助かって欲しくて、震災談を語ることにより、ボランティアは今後に活かせる。
お互いの利他的な行動が相互に作用している。
愛知ボラセンと現地住民は互いに仲間を応援し合う活動を行っているのだ。
だからこその、ボランティアと住人の素敵な関係が築けたのではないだろうか。
愛知ボラセンではこの活動と平行して阿部邦子さんを招いての講演や地元での催しに牡鹿の名産を使った活動している。
更に「震災孤児遺児応援 ワンコインサポーターズ 20,000人プロジェクト」も行っている。
この活動は震災発生時にお母さんのお腹の中にいた赤ちゃんが高校を卒業する19年後(2030年)まで、全ての震災孤児遺児に応援金を贈る活動です。
ワンコイン(500円)から始められる応援です。みなさんの気持ちを2030年まで届け続けます。(愛知ボラセンHPより)
最近では福島第二原発のある福島県富岡町の支援活動を徐々に始めようとしている。
だが愛知ボラセンでは放射線の影響を受けやすい若年層の参加者が多いため、賛否両論がありそうだ。
もちろん日本の未来を考えるとき、福島の問題は切っても切れない。
福島第一原発は収束が付く気配は一向にないし、汚染水の海への流失はこれからも増えて続けていくだろう。
これは日本だけの問題ではなく、もはや地球全体の問題であり、そして一番難しい問題であろう。
原発事故は東電や原発建設会社、政府だけの責任でない。
原発の安全神話を信じきって、原発を反対してこなかった私たち国民の責任でもあるのではないだろうか。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
だが、私たちは過ちを繰り返してしまった。
その過ちの責任を取るがごとく、国民一人一人が意識を変えて、知識を増やし、行動に移していかなければならないと私は思う。
国が動かないのなら、国民が動くしかないであろう。
愛知ボラセンにはしっかりとしたリサーチの元に慎重且つ安全に福島での応援活動をしていただきたい。
話はだいぶ逸れたが、これからしばらくの時代は2極化が進み、一極ではどんどん市民中心の社会に変わっていくだろう。
その上で、愛知ボラセンなどのNPOやNGOの存在は欠かせないだろう。
これからも愛知ボラセンの活動から目が離せない。
愛知ボラセンから思いやりの輪が日本全土に広がることを願う。
詳しい愛知ボランティアセンターの情報はこちら
http://aichiborasen.org/
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